42 歳にしてはじめてのフルマラソンに挑戦しました。
第14回紀州口熊野マラソンです。熊野古道から熊野本宮大社へ続く入り口、平野部と山裾の熊野川沿いを往復するコースです。
軽度肥満からの挑戦
マラソンへの準備は1 年前から始まっていました。マラソンへの挑戦は2 ヶ月前からでしたが。
2008年4月から特定健診・保健指導が開始されるにあたり、医師として保健指導をする側の自分自身が体型を改善する必要を感じていたとともに、運動療法の講演会で運動習慣がいかに生命予後に強い影響を与えるかということを話すうちに、本当にダイエットしようと思ったのです。
最初は
練習
1月は150km の走行が最低ラインとのアドバイスを受けました。ウィークデーに走る時間を作るのは難しいので、主に週末に走りました。
幸い、1 月は休日が多く、正月休みや成人式休みなどを活用して10~25km のランニングを実践しました。月~金は通勤ウォーキング以外はトレーニングゼロでした。
しかしながら、徐々に10km程度なら楽に走ることができるようになり、スピードを上げたままでも走り切れるようになってきました。
5kmなら28分弱、10kmなら57分、20kmでは1時間55分くらいで走れるようになりました。
食事・サプリメント
練習量を増やすとともにサプリメントを利用するようにしました。以前はきつい運動をした後は口内炎がすぐにできたのですが、マルチビタミン+ビタミンB群を利用するようになってから、ほとんどできなくなりました。
また、長距離走後に右ひざに水が貯まり、違和感や痛みを感じるようになってきたのですが、グルコサミン、コンドロイチン(ともに1日1gを目安)を服用してから楽になった気がします。
下記HPは参考になりました。
http://www.hiza.info/hiza-qa5.html
服装
上は薄手で発汗しやすく速乾性の高い、半そでのTシャツに長袖のTシャツを重ね着しました。
下はマラソン用のスパッツを利用しました。15000円以上もする高級品ですが、はくだけでテーピング効果が期待でき、膝関節や股関節をサポートしてくれる機能があるようです。
http://www.cw-x.jp
風防、防寒の機能もあり、実際に着用した感じも良かったと思います。ただ、長距離を走っているうちに少しずつずれて(脱げて)行くようですので、時々ずり上げないと、テーピング効果が薄れるように感じました。
膝痛
膝痛対策として専用サポーターを使いました。アシックス社製、膝サポーター エルゴノミクス KJ1。
大相撲中継を見ると、結構多くの力士が膝の真下をぐるりと1周テーピングしています。大きなの重みを膝のバネで受けとめるのに有効なのでしょう。同じような効果が期待できるものだと思います。42.195km走り終わったあとも、膝痛は気になりませんでした。
本番4日前は一応、グリコーゲンローディングに挑戦しました。3,4日前は低炭水化物食、1,2日前は高炭水化物食にして、エネルギー源であるグリコーゲンを通常よりも多く筋肉に蓄えるための食事です。
具体的な実施方法は下記HPがとても参考になりました。
http://www.nutrchem.kais.kyoto-u.ac.jp/fushiki/Exerc&Carbohydrate/Exerc%26CHO1.html
当日
- 7時00分起床
- 7時20分朝食(ロールパン2個+ジャム200Kcal、サラダ30Kcal、ソーセージ2本120Kcal、ブラックコーヒー2杯、合計350Kcal。)
- 8時過ぎに出発
- 8時30分受付
- 8時50分補食(バナナ1本80Kcal、スーパーヴァームパウダータイプ42Kcal、無印良品のチーズドッグ1本160Kcal、合計280Kcal)
薬局で衝動買いしたのですが、どうやら運動中体脂肪をエネルギーに換えやすくしてくれるようで、高橋尚子さんも使っているとか。
レース前1時間は食べてはいけないのです。血糖が上がってインスリンが分泌されると脂肪分解が抑制されてしまい、脂肪由来のエネルギーが使いずらくなるようです。同じ理由でレース序盤は水だけを摂るようにしました。カロリー摂取は30kmあたりから、と決めていました。
腕時計はSUNNTO 。胸に心電図電極を装着して心拍数のモニタリングをし、靴にはフットポットをつけてスピードを測定します。これらのデータが一目でわかるという優れもの。時計の真ん中に1kmを走るのに掛かる時間が表示され、上にはスタートしてからの時間、下には走行距離、そしてクルマのタコメータのように心拍数が表示されるのです。
練習量はともかく、ハード面に関してはこれ以上ないくらいの備えで挑んだのでした。
しかしながら、レース直前に気づいたのですが、フットポットの電池が切れていたようで、走行スピードが表示されませんでした。残念でしたが、走行スピードより走行中の心拍数を重視して走ると決めていましたので、むしろスピードに惑わされなくて良いか、と思っていました。実際には心拍数コントロールよりも他のランナーにかなり引きずられてしまったのですが…
- 9時25分控え室を出発し、会場へ。
- 9時40分着。
控え室でトイレへ行ったにも関わらず、オシッコ魔人が出現。トイレへ行くも、少量しか出ず。
- 9時50分、スタート地点集合。
仲間と集合写真を撮っているうちに刻一刻とスタート時間が近づいてきたのでした。
それほど緊張しているつもりはなかったのですが、何か足元がフワフワした感じでスタート。記念撮影の仲間(NSメディカル・ヘルスケアサービスの看護師さんです。)が前の方にいたので、多分、自己申告3時間30分くらいの集団でスタートしました。なので、どんどん抜かれていきます。抜かれても気にしないと誓っていたのですが、それでも心拍数は150以下になるペースに落とすことができません。
自分の乳酸閾値から考えて、最大心拍数の70%が限界と思っていました。その心拍数は多く見積もっても144回/分。
これ以上なら走れば走るほど酸素負債を抱えることになります。それでも、過去の練習から考えて25kmくらいまでは行けていましたし、今回はグリコーゲンローディングをしっかりしたのでなんとかなるかな、と思っていたのですがこれが甘かったです。結局、最後の最後まで心拍数が150を切ることはほとんどなく、30km手前からヘバリを実感する状態になっていきました。
とにかく、最初の5kmは抜かれに抜かれました。先は長い、がまんがまん。
と、思っていたらオシッコ魔人登場です。どのように走るかを考えるより、膀胱が気になって仕方ありません。朝のコーヒー2杯はダメですね。これからはレース前には絶対に飲みません。
8km地点に非公式のトイレを見つけ、飛び込みました。すると、自分に引き寄せられるようにうしろからどんどんトイレに人が駆け込んできて、行列になってしまいました。みなさん、コーヒーを飲んだのか、水分を取りすぎたのか、意外に序盤のトイレは人気だといことを実感しました。その後の数あるオフィシャルトイレは空いていたように思いますが。
オシッコ魔人が去り、ようやくレースに集中することができてきました。
往路は上り坂です。しかも、向い風。帰りが下りの追い風なのでその方がいいな、などと考えながら走っていました。
10kmを過ぎる頃は足取りも軽く、とりあえず目標の21kmを目指しました。10km通過は62分くらいでした。
トイレにいって時間ロスしていますので、ほぼ6分/kmくらいの感じだと思います。まずまず予定通りかな。
折り返してからが本当のスタートだと思っていたので、スタート地点へ向かうつもりで、アドバイスを受けたニコニコペースで進みました。でも実際は心拍数150くらいでした。上り坂、向い風で6分/kmですから、やっぱりオーバーペースだったのです。
平野部から徐々に山間に入り、川幅の広い熊野川の左岸に沿うように進みました。完全に交通規制されるわけではないので、クルマが結構近くを走りますが沢山のスタッフの方々に守られて、それ程ストレスではありませんでした。
ただ、道路の細かい凸凹はすこし気になりました。沿道にはお年寄りが盛んに声援を送ってくれました。走っている最中は知らなかったのですが、芸能人の近藤真彦さんが先のほうを走っていたようで、ギャラリーが多かったのかもしれません。
前日は雨のち曇りで、強風が吹いていました。この日も朝は曇っていましたが、徐々に晴れてきて、気温が上がっていきます。風は少し残っていたので、日陰では手袋が手放せず、日向では外したくなるということで、結構頻繁に着脱していました。
15kmくらいになると、前後を走るランナーがほぼ同じになってきました。微妙に抜いたり抜かれたりを繰り返しながら進んでいきます。
レース前のコーチからのアドバイスどおり、抜くときは一気に抜きました。でも、また抜かれます。
他にもいくつかのアドバイスが。集団の前には出るな、後ろにつけ、風裏をとれなどです。
でも、ヒトってそれほど風除けになってくれませんし、前にしても後ろにしても、集団と自分のペースとは微妙に違います。何より、集団と言えるほどの集団はなくなるくらいばらけてきました。
ということで、何も考えず自分のペースだけを意識しました。といっても心拍数は良くて148、大体は150です。強めの上り勾配では心拍数が160を超えてしまいます。
山裾が近づくにつれて、上り勾配が強まっていきます。川幅が狭くなりますが、水の清らかさを実感できる距離になってきました。まだまだ気持ちに余裕があります。そろそろ、トップ選手とすれ違う頃かなと思ったのですが、意外と来ません。と思ったら来ました。トップ選手は独走のようです。わが鉄人Ns達とすれ違うのも30分後位でしょう。一方で、歩き始める人たちも増えてきました。
往路と復路は折り返し地点辺りが別ルートになっていて、鉄人女王Nsとはすれ違うことができませんした。もうひとりの鉄人Nsとはすれ違いに手を振って健闘を誓い合いました。
さあ、もうすぐ折り返しだ。と思ったものの、折り返し地点が来ません。
おかしいおかしいと思っていたら、25kmが折り返し地点でした。なんか、ちょっとリズムが崩れた感じです。
でも、残り距離を考えると得した、と考えるべきでしょうか。後から確認したところ、20kmを124分、21kmを131分くらいで通過していました。上り勾配で向かい風ですから、早いペースでした。後からというのは携帯電話のau
RUN & WALKでの測定記録です。本当にハード面は充実しています、われながら。前日に音楽を聴きすぎて34km地点で電池切れになってしまったのはおバカでしたが。
お腹が減ったことを自覚してからのエネルギー補給では遅いということだったので、前倒しで折り返し点直前の給水点で食べることにしました。バナナ1/3、小さなアンパン1/2。微妙に食べ過ぎかも。インスリンが過剰分泌されないか心配しつつ、いやいや、今はきっと低血糖のはず。などといろいろ悩みながら走りました。練習では24、5kmを過ぎると本当にバテがきますが、この日は大丈夫でした。グリコーゲンローディングの効果でしょうか。
折り返し点を過ぎて、新たなスタート地点に立った気持ちになりました。よく、30kmを過ぎたらつらい、とか35kmに壁があると言いますが、28kmあたりの噂は聞いていませんでした。
でも、ヘバリが出始めました。足が徐々にペースが落ちてきた感じを実感するようになってきました。このあたりでしんどいというのは聞いてないよ~という感じでした。オーバーペースの影響がジワリと出てきたのだと思います。
でも、噂の30kmのしんどさを早く体験したいという一心でした。
ようやく見えてきた30kmの表示。タイムは193分くらい。あと12kmです。
なるほど、しんどいです。これかーと言う感じですが、景色を見て気を紛らわせました。
次の目標は32km。残り10kmの地点です。ここまで来ればゴールが見えてきます。
ところが、1kmが長く感じるようになって来ました。31kmの標識もなかなか見えてきません。
楽しみは食べることです。食べ過ぎないように、と思わなくはなかったのですが、結局トータルでバナナ2本分くらい食べたと思います。パンは噛むのに時間が掛かるので1回目に食べただけでした。それよりも、梅干がおいしかった!街道には梅の花が咲いていて、目を楽しませてくれていたのですが、お口も楽しませてもらえるとは。ふっくらと大粒の梅干で、きっとはちみつ漬けなのでしょう、すでにいっぱい汗をかいていましたので、給水点毎に遠慮なく1個ずつ頂戴しました。水スポンジで手を洗うと言う知恵もつけました。甘酸っぱいうめぼしさん、ありがとう。用意してくださった皆さん、ありがとう。ボランティアの野球少年たち、ありがとう。そんな気分に浸りつつ、梅干の種を口に含みつつ進みました。
35kmあたりに川を渡る橋があり、かなり上っています。周囲は歩いている人が多くなってきました。給水点では止まってストレッチすることは許可するが、歩くのは禁止と自分で決めていましたので、なんとかそのまま走り続けましたが、歩いている人を抜いた後に、その人が再び走り始めると抜かれるというようなペースでした。
そうこうしている間に37km、残り5kmの地点を過ぎました。足が上がらず、惰性で進んでいるような感じになってきました。つらさがピークに差し掛かります。懸念していた右膝痛は生じず、それ以外の関節も元気です。靴擦れやマメもできず、乳頭や脇などのこすれも気になりません。丈夫に生んでくれた母親へ感謝の気持ちが浮かびました。フルマラソンに出ると決めてから、初マラソン頑張って、といろいろな人から応援もらっていたのも力になりました。初マラソンで、どんなタイムになるのか想像できなかったのですが、4時間30分は到底無理、遅ければ5時間を過ぎる。でもうまくいけば鉄人Nsが目標と言ってた4時間50分には間に合うかもしれない。そんな風にタイムを意識するようになっていました。ちなみに鉄人女王Nsは3時間55分、鉄人Nsは4時間20分でゴールしたそうです。近藤真彦さんも4時間20分くらいだったようです。
足が動かないのは自分だけでなく、周りのランナー達も一緒のようです。しかし、驚くことに折り返しを過ぎた地点ですれ違ったはるか後ろにいたランナー、しかも丸い体型の女性に抜かれていくのです。お年も自分よりかなり上っぽい。なるほどなあ、イーブンペースとはああいう走り方のことなんだなと思いました。レース前半は6分5—10秒くらいのペースだったのが、後半は7分20秒くらいの計算になります。結局、トータルでは6分48秒というペースでした。これなら、乳酸閾値を越えないゆっくりペースで走れば、かかる時間が同じでも、もっと楽に走れたのではないかなと思います。きっとこの女性はご自分のペースをよくわかっておられるのだろうと思いました。
最後の目標は40km標識です。しかし、1kmが遠い。前半の5kmと同じような感じです。なんとか40kmにたどり着きました。
後は2kmちょっと。いつも練習しているコースのあの距離と同じくらいです。そう思うと、少しだけペースアップできるようになってきました。走るリズムが戻ってきました。
もう、惰性で進んでいる感じはありません。背筋が伸び、腕が振れ、足が前へ進むようになったのです。歩くようなスピードだったのが、明らかに走るスピードに変わってきたのです。不思議でした。こんなエネルギー残っているだったら、もう少し手前からペースアップしたかったな、と思いました。
41kmのところで、ハーフを1時間半で走り終わった木下課長が迎えに来てくれました。私の不思議に余裕のある走りを見て、しきりに褒めてくれました。最後は風除けとなって伴送しながら走ってくれました。やはり、人に風除けの効果はあまりないと感じましたが。4時間50分を切れるから頑張って、と応援してくれました。

爽やかなゴールの瞬間
そしてゴール直前、消防団員の方々が声援を送ってくれました。ほんの一瞬ホロっとなりそうになりましたが、そのまま淡々と走り、麥谷先生の姿が見えたときに手を上げ、余裕のふりでゴールしました。ゴールラインでガッツポーズをすることもなく、ゴールラインを10mくらい過ぎてから走るのを止めました。ああ、もう走らなくって良いのだなと思いました。
ゴールで計測用チップを回収していましたが、フットポットのついた靴紐を外してしまいました。チップを渡したら親切な係りの方が紐を結んでくれました。ありがとう。
完走記録をもらいました。4時間48分15秒。ほぼ5時間。よくもまあこんなに長い間走ったものだと思います。お腹いっぱいで次のマラソンを考える気持ちになれないという一方で、本当に最後までイーブンペースで行けたらどうなるのだろう、という興味にも惹かれます。きっとそのうちまたお腹が減るのでしょう。
最後に、このマラソンに誘ってくださった保健事業部のみなさん、ありがとうございました。
いろいととアドバイスをくれた木下課長、鉄人女王Nsの池田さん、鉄人Nsの濱さん、ありがとうございました。
一生のうち、一度はフルマラソンを走ってみたいという願いは叶えられました。それはきっと一生の思い出になるのだと思います。
人生はマラソンのようなものというけれど、私は違うと思います。やっぱり、人生の方が深遠です。でも、似ているところも確かにあります。前半元気で、後半元気がなくなっていくということや、前半のつけが後半来ることなどは人生に似ています。途中でいろいろな人と、かすかな出会いがあり、別れがあるところも。
人生においても、ゴール直前に不思議な走りができることがあるのでしょうか。