感動!サブフォー達成記(岩根幹能 医師)
1.サブフォーに挑戦する気持ちづくり
死ぬまでに1度は」と思っていたフルマラソンの初挑戦は2009年の第14回口熊野マラソンでした。4時間48分15秒で完走できたのですが、最後の15kmは歩いているのと変わらないようなスピードでした。最後まで歩かないという目標は達成できたものの、ゴールした時にはただただくたびれていて、走るのはもうお腹いっぱいという心境でした。
翌年の口熊野マラソンでは、当然フルへの意欲はなくハーフに参加しました。2時間以内で完走することができ、その後は時間が経つとともに走ることが生活の中に自然と溶け込んでいく感じがしていました。
また1年が経ち、もう一度フルマラソンに挑戦しようという気持ちになりました。今度は最後までバテずに走りきることを目標にしました。2009年のへろへろゴールは練習量が足りないことによる筋力不足が原因でしたので、今回はしっかり走り込もうと心に決めました。
練習できるのは週末だけでしたが、それでも練習を積み重ねるうちに本番でのタイムを意識するようになってきました。「自分にはサブフォーは無理だろうか?」、「チャレンジしても良いのでは?」などと自問自答する中で、これからは若さを失っていく一方だから(現在44歳)、自信は全然ないけど、1年でも早くチャレンジした方が良いという結論に達しました。
2.本番までのトレーニング
この決心がモチベーションを高めたことは間違いないと思います。年末年始はほとんど毎日走り、元日は20km、2日は10km、3日は30km。翌週の3連休も同じように走りました。長い距離を走るLong Slow Distance(LSD)練習はスタミナや下肢の筋力をつけるために重要です。最初はLSD時には膝の痛みが生じるのでサポーターなしでは走れなかったのですが、膝の周りの筋肉もすこしずつついてきたようで、2回目の30kmLSDではまったく膝の痛みなく走れるようになりました。
一方、サブフォー達成のためにはスピードを身につけることも必要です。42.195kmを4時間で走るには、単純計算で1kmあたり5分41秒のスピードが必要です。早く走る能力を身につけるには、短い距離でも良いので、自分の能力以上のスピードで走りきるビルドアップ走というトレーニングが必要でした。全力に近いスピードで走る練習はとてもつらいものでしたが、最終的には10kmを48分台で走れるようになりました。30kmのLSDでは問題なかったのに、10kmのビルドアップ走の翌日は筋肉痛になりました。それ位効果があるということなのでしょう。また、1kmを5分以下で走りきる速度を継続できたことで、サブフォー達成の可能性を信じられるような精神面のトレーニングにもなったと思います。
結局、12月以降で本番までに400kmくらい走り、そのうち250kmは1月に走ったものでした。
3.サブフォーへ向けての作戦
どのようなペース配分でサブフォーを達成するか、事前にいろいろと検討しました。VAAM presents RUNNING SCHOOL +Qというサイトは参考になりました。
http://www.runningschoolq.jp/regular/sub40/
「1kmを平均5分25秒ほどで走るペースがお勧めです。このペースで走ればフィニッシュタイムはおよそ3時間50分。つまり10分ほどの余裕があるわけですが、スタート直後のコースの混雑、終盤のスタミナ切れや脚の痛みによるペースダウン、さらにトイレや給水、給食、リフレッシュ休憩などによるタイムロスを考慮すると、この程度の時間的な余裕が必要です。」
なるほど、説得力のある内容です。一方、マラソンの師匠K氏は絶対的にイーブンペース作戦で行くべきで、レース序盤に貯金しようなどと考えてはいけないと力説しておられましたし、師匠I氏も前半は抑えて後半勝負という方針です。
総合的に考えて、最も調子が良いであろう10〜25km辺りはキロ5分25-30秒で走ることを目標にしました。昨年12月に購入したGPS機能付きの時計は、1kmおきに自動的にラップタイムを教えてくれます。10km55分、20km1時間50分、30km2時間45〜48分で走れれば、残り12.195kmをキロ6分ペースまで落ちてもサブフォー達成可能です。
シューズ選びには高橋Qちゃんや有森選手を育てたことで有名な小出監督の本が参考になりした。これまの練習では膝への衝撃を緩和するよう、なるべくクッション性のあるシューズを使ってきましたが、クッション性が強すぎると、布団の上を走るようなもので、疲れもたまってしまいます。タイムを出すためにはある程度ソールが固めの方が良いとのことでした。練習を重ねて膝の不安がほとんどなくなりましたので、2足持っているうち、ソールの固いシューズで本番に挑むことにしました。
4.さあ、本番! 絶好調のすべり出し
2月6日は寒波が一時的に去り、日中は12℃程度まで上がる暖かさ。風もほとんどなく、絶好のレース日和に恵まれました。1月は寒い日々が続いたので、練習では半袖Tシャツに長袖Tシャツを重ね着していましたが、本番は半袖Tシャツだけで挑むことにしました(それが正解で、走る前は寒く感じても、走っている最中はとても暑かったです)。朝7時30分に朝食を取り、9時に補食しました。
9時55分頃スタート地点に到着し、予想タイム3?4時間のグループのやや後ろに並びました。10時に号砲が鳴り、ついにレーススタート。直後は例の混戦です。スタートラインを越えるのに数十秒を要しましたが、予想していたほどではありません。しかしながら、タイムロスを考えて、ちょっと飛ばし気味のスタートです。最初の1kmのラップは5分40秒。6分超を覚悟していたのでとても上出来でした。次の1kmはなんと5分15秒。完全にオーバーペースです。他の人も速いのでついつい飛ばしていたようです。飛ばし過ぎだけは避けなければと分かりつつも、次も5分22秒。まだまだ速すぎます。ゆっくり、ゆっくりと言い聞かせて4km地点5分30秒、5km地点35秒とダウンし、その後は9kmまで35秒でキープできるようになりました。この間は後からどんどん抜かれて行きます。どんどん、どんどん抜かれて行くのでちょっとあせりますが我慢・我慢の時間帯でした。9kmを過ぎてエンジンが暖まって来たようで少しペースアップしたところ、10km地点でのラップは5分13秒と、このレース中最速タイムをマークしました。それで少しペースを落としましたが、それでも、ゆっくり走っているつもりなのに25秒前後のタイムが出ていました。楽だなと思う速度が25秒なので、これならいけるかも、という手ごたえを感じ始めていました。脳内モルヒネがたっぷり出ていたのでしょう、完全にランナーズハイの状態でした。身体が軽く、どんどん前に進んでいく感じです。この状態が18kmまで続きました。その後は30秒前後までわずかにペースダウンしましたが、後を考えればむしろ25秒を維持しない方が良いとも言えます。10kmmのラップタイムは54分51秒、20kmのラップタイムは1時間49分30秒とほとんど目標どおりでした。ハーフの推定タイムが1時間55分30秒、しかもまだまだ余力ありで、かなり手ごたえを感じる折り返しでした。しかし、好事魔多し。これまでに経験したことのない出来事がこの後起こります。
5.かつて経験のない・・・
20km過ぎにこのコースで最大の登りとそれに続く下りが長く続くエリアに差し掛かりました。小出監督の本を読んで、下り坂では手の位置を下げてやや前傾姿勢で走るというテクニックを学んでいました。この走り方に加えてストライドを大きくすると下り坂でスピードをつけることができます。I師匠から教わった、登りでスピードを落とさず下りでスピードを生かせばタイムを稼げるという教えに従い、すごい勢いで走り下りました。ランナーズハイ状態で意図的にスピードを出すのですから、それはそれは速かったと思います。何十人もごぼう抜きしました。
しかし、思えばこの時がピークでした。それから1kmが過ぎ、ふと気付くと右足ふくらはぎの奥深くに潜む違和感。少しずつ少しずつ表に顔を出そうとしてきます。右足が地面に着くたびにふくらはぎを棒で叩かれるような感じです。強く叩かれるわけではないのですが、1歩1歩叩かれるので、だんだんつらくなってきました。これまで、走り込み初期に膝痛が生じたことはありますが、疲労がピークの状態で30kmを走ったときですら、ふくらはぎの痛みが生じたことなど1度もなかったことです。これはちょっとショックでした。
整形外科は門外漢ですが振り返って自分なりに解釈してみます。ふくらはぎを構成する筋肉は主に下腿三頭筋です。下腿三頭筋は、大腿骨の内・外側の2箇所が起始部(付着部)となる浅部の腓腹筋、腓骨および腓骨・脛骨間の腱膜が起始部となる深部のヒラメ筋および小さな足底筋から構成され、アキレス腱として踵骨に停止します。痛みのポイントは腓骨頭よりやや下で、足を着いた時の痛みということから考えると、受傷部位はヒラメ筋の起始部あたりに問題がありそうです。肉離れであれば瞬間的に発症しますので、筋膜炎のようなものかなと当時は思っていましたが、今考えれば、最も疑わしいのは腓骨の疲労骨折です。骨折といっても体重を支える脛骨は問題ないので、走ることは可能です。やはり下りでスピードを出しすぎたことが原因でしょう。下りは下肢への荷重が大きくなるので、少しはスピードをセーブすべきところを、逆に大きくGをかけてしまっていたのです。その結果、腓骨に捻れや反れの力が強く加わった結果、疲労骨折に至ったものと思われます。レース中にはここまで考える余裕はなく、ただ戸惑っていました。とにかく、レース中に改善する見込みはないだろうと覚悟しました。
とりあえず、「このような痛みは無かったことにしよう」と思いました。痛みはないし、たとえそれを自覚しても、自分には関係ないと。そうすると、痛みを忘れることができる時間帯もありました。ペースはキロ5分30〜40秒でそれほど落ちていません。26km地点のラップは5分20秒ですから、それなりに対処でき、余力もあったようです。
6.30kmの壁
29km過ぎたあたりから右ふくらはぎの痛みがますますひどくなってきました。着地をするときにふくらはぎを叩く棒の太さが棍棒のようです。痛みが原因でスピードが上がりません。ペースも5分50秒まで落ちました。本当に痛くて痛くて仕方がない状態で、「無かったこと」にはできそうもありません。31kmの看板が見えた時、たまらずに止まって一度ストレッチをしてみることにしました。ふくらはぎを伸ばす動きをしても、特に痛みが増強することはありません。その時はわかりませんでしたが、やはり筋肉や靭帯の問題ではなかったのです。再び走り始めると、やっぱり着地のたびにふくらはぎを棍棒で叩かれます。32km地点でのラップタイムはついに6分10秒まで落ち込みました。30kmの通過タイムは2時間45分31秒と良かったのですが、このままでは4時間を切ることはできません。気合いとか気力とか根性とか、そのようなもので痛みを乗り切るしかないと自らに言い聞かせました。そもそも、遅く走っても痛みは軽減しないのです。
このときに多少なりとも頑張れたのは、練習で走り込んできた中でのつらさを乗り越えたことにあるのだと思います。冷たい真冬の空気の中に早朝から飛び出していくこと、体温が上がるまで手のかじかみを我慢すること、LSD後半の膝の痛み、ビルドアップ走の苦しみなどなど、いろんな試練を乗り越えてきたのだから、この痛みにも耐えられるという思いがありました。
残る距離は10km、覚悟を決めてスピードを上げました。33、34km地点では5分45秒まで改善することができました。「このままマラソンを走り続けることと、外来診療担当を終日1週間連続でやるのとどっちがつらいかな」、「1週間はいやだな、でも3日だったらそっちの方がいいかも」などと他愛もないことを考えながら走りました。
しかし、この頃には元気な左足にも疲れを感じるようになってきました。35km地点でのラップタイムは6分1秒と再び6分を越えてしまいました。結局、振り返ってみれば、ものの見事に30kmの壁と35kmの壁に激突していました。5km刻みでのタイムをみると、31〜35kmのタイムは29分31秒であり、その後の5kmの28分59秒よりも遅い、このレース中最悪のタイムでした。
7.そして栄光のゴールへ
右足の痛みに加えてへばりが出てきたことで、25秒の時の風に乗るようなスピードはすっかり光を失ってしまいました。スピードが出ていないことが自分でもよくわかります。姿勢のいいしっかりとした足取りのランナーに抜かれていきます。それでも、時計を見ると36km地点でのラップは5分45秒。意外でした。こんなに体が重いのに45秒で走れているとは。とても不思議に感じましたが、すごく励まされた気がしました。確かに、歩いている人だけでなく、走っている人を抜くことがあります。しかも、先に進めば進むほど抜くことが多くなっていきました。それなりにしっかりとした足取りのランナーさえも抜くことがありました。自分のスピードがアップしているわけではありません。「みんな疲れているんだなあ、自分だけではないんだ」と感じました。沿道の声援に手を上げて応えてみました。
そうこうしているうちに、ついに40kmの看板が見えました。タイムは3時間44分01秒!残り2.195kmに対して15分以上あります。キロ7分のペースでも十分間に合います。「サブフォーを達成できる」、そう確信した瞬間、胸の中を熱いものが込み上げてきて、ほんの少しウルッとなりました。声には出しませんでしたが、足取りの重たい周りのランナーに、ここを踏ん張れば4時間切れるから頑張ろう、と心の中で呼びかけていました。
その後も45秒のペースを保ったまま42kmを過ぎてラストスパート。抜けそうで抜けなかった派手なウェアのランナーをついに抜き去ってゴールに向かいます。ゴール地点が見えてきました。沿道にはたくさんの人がコースを挟んで並んでいて、みんな自分に声援を送ってくれているような気分になりました。
そしてついにゴール!両手を上げてバンザイしながらゴールインしようかと思いましたが、恥ずかしくてできませんでした。それでも胸の中に湧きおこる大きな喜びがガッツポーズを作りました。うつ向き気味でこぶしは胸の高さという地味なガッツポーズでしたが、力強く握りしめました。タイムは3時間57分23秒。練習を積み重ねてきて、ついには目標を達成した誇らしい気持ち。つらい痛みに耐えて走りきった自分を誉めたい気持ち。本当にサブフォーを達成することができたのです。
ゴールでは同僚のIT君が握手をしてくれました。一旦止まった後に歩き出した時、右足を引きずらずには進めませんでしたが、それも名誉の負傷のように感じました。この数年間で最も自分を誉めたい瞬間でした。フルマラソン挑戦を自分の挑戦のように応援してくれた、丈夫な身体に生み育ててくれた両親に感謝したいと思います。
≪フルマラソンラップタイムの変化≫
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